心技体
いにしえの達人たちが、いっていた言葉のなかに、心技体(しんぎたい)ということばがあります。読んで字のごとく心と技と体の3つの関係がうまくいくことが重要であるという考え方です。
現代の進んだ科学は、体の仕組みや動きを細かく分析するという点においては、めざましい進歩をとげています。それはそれですばらしいことであります。当ドラムレッスンにおいても、先端の技術を学び、レッスンに生かしております。しかし、もし仮に、現代的科学が心を否定し、スピリチュアルなものを否定するのならば、私はとても残念におもいます。
技についても、ドラムの場合は、我々の諸先輩方の功績で、ルーディメンツやリズムパターンなど開発がなされてきました。そのおかげで多くのドラマー達が、技術の向上という意味で、たくさんの恩恵をうけています。
この、諸先輩たちが積み上げてきた功績を無駄にしないためにも、また、未来の音楽をすばらしいものにするためにも、私たちは高い精神性をもとめて演奏に従事するべきであると思うのです。
思い出してほしいのです。
自分がはじめてドラムに触れてたたいたときのあの感動。
演奏がうまくいったときのあの喜び。
自分達の演奏をきいて、楽しんで踊ってくれたお客さんをステージから見たときのあの感慨。
グルーブを感じて演奏できたときのあの楽しさ。
涙ながらに叩くバラードのあの心境。
これらは、心があって感じるものであります。
“うれしいなあ” とか “かっこいいなあ” と感じるものの主体は心であるということです。
音楽を奏でる私たちにとって、心はたとえようもなく偉大で、尊く、大切なものなのです。
一方で、心が大事であるという人のなかには、進んだ技術を軽視する傾向を持つ人がいます。
これはとても残念なことです。技術的な解析もせずに、気合だけでスピードを上げようとしたり、根性だけで全ての技術を乗り越えようとするような態度は、工夫して乗り越えようとする態度を否定しかねません。
科学的実証がなされているものや経験的にわかっていることについては、どんどん取り入れるべきであるとおもいます。
本当の意味で素晴らしい技術は必ずや心に貢献するものであります。
逆に、技を追い求めるドラマーは、心を軽んじる傾向にあります。
技術さえあればトップに立てると勘違いしないでください。
優れた技術は優れた演奏に貢献するものではありますが、決してイコールではないのです。
良い技術さえあれば良い演奏ができると思い込んでしまうのは、悲しむべきことです。
技術だけを習得しても、肝心かなめの心というものを軽視するならば、ただうまいだけのなんの感動もうまない演奏になってしまいます。
なにか音楽表現に物足りなさを感じるはずです。
どうかそのようにならずに、心も技術も体も向上をめざすという考え方を忘れないでください。
現代の科学では、心は脳波であるという考えがありますが、そのように安直に結論づけるのは早計であると思います。もちろん、心と脳波とは何の関係もないとはいいきれないと思いますが、心というものは、もっと尊く、崇高なものであり、神秘的で謎が深いものに私は感じます。
音楽はもともとスピリチュアルなものであり、音楽を感じる主体である心も、とてもスピリチュアルなものであると感じます。
私たちにとって、権威と信頼をもってスピリチュアルなものを語る人の意見に耳を傾けるということは、とても大切なことであろうとも思っております。
心技体という言葉は、心という文字が一番最初にでてきます。技という文字でもなく、体という文字でもありません。心が最初なのです。これには、深い意味があると感じざるをえません。達人や偉人たちはこのとこを知り、伝えたかったのではないでしょうか。
これからの新しい世紀に活躍するドラマーには、この古くて新しい心技体の3つのバランスを大切にしていただきたいとおもいます。
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